Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』との出会い
―前回の記事「Hi-STANDARD、2014年の動向は?(1)」のつづき―
中学3年生のころ、Hi-STANDARD(ハイスタンダード)好きな友だちが周りに何人かいたから、ちゃんと聴いてみたいと思っていた。
友だちから『MAKING THE ROAD』のCDを借りて、カセットテテープに録音した。それからはカセットウォークマンでよく聴いた。
当時ハイスタみたいな音楽を聴くのは初めてだったから、とても新鮮な感じがした。ハイスタを聴けば聴くほど、また歌詞を読むほどに好きになっていく自分がいた。
「ハイスタ、すげーカッコイイな…!!」
AIR JAM 2000の頃
ちょうどその頃にAIR JAM 2000があった。友だちの兄貴がAIR JAM2000に行くらしくて、それがすごく羨ましかったり、あの年の夏はそうゆう話題でよく盛り上がった。
そのあとちょっとしてから『Love is a Battlefiald』のシングルが出たりして、そうゆう時期だった。
ハイスタは活動休止はそのくらいから始まることになるんだけど、始めの頃は休止期間がこれほど長くなるとは全然思ってなかったし、そのうちまた音源出したりライブをするだろうと思っていた。
でも、実際にはそうゆうことはなかなか起こらなかった。
ハイスタに夢中になっていた時期だったから、もしあるのならライブだって見てみたかったけど、その頃は見たくても見れない状況になっていたから、休止前にハイスタのライブに行ってたという人が羨ましく思えた。
それでも当時は『MAKING THE ROAD』から遡って過去のアルバムを聴いたり、VHS(ビデオ)の『ATTACK FROM THE FAR EAST』を見てたり、バンドスコア買ってギターパートをコピーしたり、いつもそうゆうことを夢中でしていた。
Hi-STANDARDは復活しないだろうと思っていた
その後は、ハイスタの活動休止から年数が経つほどに復活への期待もだんだん虚しく感じられるようになっていた。
ハイスタのライブを見てみたかったけど、もう難しいかもしれないと思っていた。
「このまま90年代の伝説的バンドとして語られて行くのかもしれないな…」ほとんど諦めの境地にあったと思う。
だからこそ2011年4月にあったハイスタの復活宣言は、とてつもなく衝撃的な出来事だったのだ。十中八九ないと思ってたことが起きたのだから。
AIR JAM 2011を観に行った
復活後、初のライブとなるAIR JAM 2011は、入場チケットの競争倍率がとんでもない高さとなり、それを入手することはなかなか難しい状況であった。行きたくても行けなかった人がたくさんいたと思う。
当然自分も応募はしたけど普通に落選だった。だが、なんとも幸運なことに当日行けなくなった人からチケットを譲って貰えたのだ。
「ハイスタに会える…!!」
ずっとハイスタのファンだけど、難波さん、健さん、恒さんの3人をリアルに見るのはAIR JAM 2011のステージが初めてであった。
ハイスタのライブを初めて見たAIR JAM2011、あのステージでは楽しさ以上に感慨深いものを感じていた。
少しでも見逃したくない、聴き逃したくないと思って食い入るようにステージを見届けた。
AIR JAM 2011のセットリストは、よく知っている曲ばかりだった。
それだけ自分もハイスタを聴いて来てたんだなと、そんなことを思いながらAIR JAM 2011のハイスタのライブを胸に刻んだ。
AIR JAM 2011は、生涯忘れることのない特別なライブとなった。
2014年もHi-STANDARDを応援
ハイスタはもう過去のバンドではなくなった。
2014年の彼らの動向にも注目しながら、今後の活動に期待を込めて応援し続けたい。
written by 南無パンクロック
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