
リーホー!ニーハオ!南無パンクロック(@NAMUPUNKROCK)です
2011年3月11日の記憶
本日、2014年3月11日は、東日本大震災から丸3年にあたる。
大宮で迎えた東日本大震災
あの日、埼玉の大宮にあるGATEWAY STUDIOにいた。
間近に迫った軽音サークルの卒業ライブに向けて、バンド練習をしていた。
あの日のことは今でも印象に残っている。
卒業ライブに向けた練習曲

卒業ライブで演奏する予定だった曲は、
・soulkids『アネモネ』
・New Found Glory『My Friends Over You』
・コブクロ『未来への帰り道』
・Hi-STANDARD『BRAND NEW SUNSET』
の4曲であった。
スタジオでは、バンドメンバー全員で集まって、それらの曲を練習していた。
演奏する曲は、メンバーで意見を出し合って決めて、自分もハイスタの『BRAND NEW SUNSET』を提案した。
突然の地震発生
そのバンドでの練習中、突如として部屋全体が揺れた。「地震だ…!」
密室の地下スタジオで感じる大きな揺れは、かなり心地の悪いものだった。
大宮駅と交通機関の混乱
揺れが止んでからすぐ屋外へ出ると、周りの建物からもたくさんの人たちが道ばたに出て来ていた。
大きな余震があったら怖いとも思いながら、とりあえずその場で様子を見た。
スタジオにあったテレビモニターでは地震速報が流れていた。
そのうち津波のニュースなどが報じられて、東北地方が大変な状況になっていることがわかって来た。
大宮駅の方まで歩いて行ってみると、駅前は多くの人たちでごった返していた。
地震の影響で交通機関が完全に麻痺している様子だった。
駅構内の様子を見に行くと、改札口は完全にシャットアウトされていて、そこらじゅうの天井から防火用の水が降り注いでいた。
帰宅困難と大宮での一夜
/(^O^)\
オワター
バンドメンバーのみんなも、電車が動かないことには帰ることも出来なかったので、運転再開を待つほかなかった。
きっと今日中には再開するだろうと高を括っていたけど、結局その日のうちに大宮駅からの電車が再開することはなかった。
電車が再開するまで時間をやり過ごさなければならず、自分たち以外にも大宮にいた軽音サークルのメンバーたちとも合流して、付近の居酒屋で時間を潰すことにした。
居酒屋にいる間、余震は絶えず続いていた。
大宮の居酒屋で一晩を明かし、翌日12日のお昼前くらいになって、ようやく大宮駅からの運転が再開した。
大宮から帰宅困難だった人たちで超満員になった各停電車に揺られながら、どうにか帰路につくことが出来た。
震災後に続いた混乱
その後もしばらくの間は震災の影響で、いろんな混乱が続いた。
予定されていた軽音サークルの卒業ライブは中止となってしまった。
残念なことだけど、こればかりは仕方がないと思った。
自宅で過ごしている時は計画停電を体験した。
また、大学の授業開始も震災の影響で一ヶ月遅れた。
まさかまさかのハイスタ復活
そんな混沌としていた時期、突然ハイスタ復活のニュースが流れた。
AIR JAM復活の衝撃
AIR JAM 2000以後、長らく活動休止状態にあったハイスタが、11年ぶりのAIR JAM開催を示唆する、
「9.18 ハイスタンダード AIR JAM。届け!!!」
というツイートをした。
このツイートを見て、多くのハイスタファンが驚き、沸いたのは言うまでもない。
音楽で日本を元気に

難波さん、健さん、恒さんの3人は暗い雰囲気にあった日本を元気づけるため、再びハイスタンダードとして狼煙を上げた。
あの時の自分の脳内ラジオでは、ハイスタの『ENDLESS TRIP』が流れてたと思う。
おわりに
あの日、2011年3月11日の東日本大震災は、大宮で軽音サークルの仲間たちと過ごした、自分にとって忘れられない記憶となった。
交通機関の麻痺や帰宅困難、その後の計画停電や大学生活への影響など、震災が残した爪痕は今も心に強く刻まれている。
しかし、そんな混乱と不安の中で突如告げられた Hi-STANDARDの復活 は、多くの人にとって希望の光だった。
音楽には人の心を勇気づけ、前を向かせる力があることを実感した瞬間でもある。
震災から年月が経っても、あの日の記憶を風化させず、音楽が与えてくれた力を大切にしていきたい。
そしてこれからも、3.11の教訓とHi-STANDARDのメッセージを胸に刻みながら歩んでいきたいと思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました🙏🏻
written by 南無パンクロック


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