
ごきげんよう~、難読字好きの漢字小姐と申します
「別」と「别」
この二つの漢字、よく似ているけど、微妙に形が違うんですよね。
よく見ると、違うのは左側の「口」の下の部分。
「別」は、4画目の横画が5画目の左払いより左に突き出していない。一方、「别」は、4画目の横画が5画目を越えて左に突き出している。

「別」の筆順(参考図)ほんのわずかな違いだけど、異体字になるんです。
日本では普通「別」と書く。一方、中国大陸では「别」という字が使われている。
じゃあ、どっちが正しい漢字なんだろう?
そもそも「正字(せいじ)」って何なのか。古い漢字の形を基準にするのか、それとも現在の標準的な字体を基準にするのか。
古典文献を扱う学術研究では、正字体が重視される場面もある。でも、どうしてわざわざ古い字体を使う必要があるんだろう? 原本に書かれている文字と、一般に正しいとされる字体が違っていたら、どちらを優先すべきなのか。
そんなことを考えながら、ネットであれこれ調べていたときのこと。
偶然、こんな漢字を見つけたんです。
「𠔁」……何これ?
パッと見、「八」を上下に二つ重ねただけのような、ものすごくシンプルな構造。
ところが、この字について調べてみると、なんと「別」の古字なんだそう。
えっ、これが「別」?
気になったので、もう少し詳しく調べてみました。
「別」と「别」は、どっちが正字なのか?

まず、最初に気になった「別」と「别」の違いから。
現在の標準的な字体を調べてみると、次のようになっている。
- 日本:「別」
- 台湾:「別」
- 中国大陸:「别」
日本では「別」が常用漢字表に掲載されているし、台湾でも教育部が「別」を正字としている。
一方、中国大陸では「别」が簡体字として使われている。
つまり、現在の文字の使い方という意味では、どちらもそれぞれの地域で正しい字体ということになる。
でも、ここで一つ気になることがある。
「别」という字は、中国で漢字の簡略化が進められたときに、新しく作られたものなんだろうか?
調べてみると、どうやらそうではないらしい。
台湾教育部が公開している『異體字字典』によれば、「别」という字体は、古い字書である『玉篇』や『四聲篇海』にも見られるという。
さらに、『正字通』という字書では、「别」を「俗字」として扱っていたことも紹介されている。
つまり、「别」は現代になって突然登場した字体ではなく、昔から存在していたんですね。
かつて俗字とされた字体が、現在の中国大陸では標準的な字体になっている。
この時点で、「正しい漢字って何だろう?」という疑問が、ますます大きくなってきた。
そもそも「正字」って何なのか?
そこで、今度は「正字」という言葉そのものを調べてみた。
国立国語研究所の「ことば研究館」に、ちょうど参考になる解説があった。
それによると、漢字には昔から、字源に則った「正字」、画数を簡略化した「略字」、一般に通用していた「俗字」など、さまざまな字体が存在していたという。
例えば「國」と「国」。
現代の日本では「国」が普通に使われているけど、歴史的には「國」が正字として扱われてきた。
だからといって、現在「国」と書くのが間違いというわけではない。
現在の日本語では、「国」が標準的な字体なのだから。
ここで大切なのは、昔から正字とされてきた字体と、現在の社会で標準とされる字体は、必ずしも一致しないということ。
そもそも「正字」という言葉自体、どの時代の、どんな基準によって判断するのかを考えなければならないようだ。
何となく「正字=絶対に正しい漢字」だと思っていたけど、実際にはそんな単純な話でもなさそう。
参考:国立国語研究所「国と國のように、昔と今とで形がちがう漢字があるのはなぜですか」
よく耳にする『康熙字典』って、そもそも何?
正字について調べていると、しょっちゅう出てくるのが『康熙字典(こうきじてん)』という名前。
漢字に関心がある人なら、一度くらい聞いたことがあるかもしれない。
これは、中国の清代に編纂された大型の漢字字典で、康熙帝の命令によって1716年に完成したもの。
収録されている漢字は、なんと47,035字。
現在の漢和辞典でもおなじみの214部首による分類を採用していて、漢字の字形・読み・意味・用例などがまとめられている。
日本でも、伝統的な字体を調べる際の重要な資料として利用されてきた。
国立印刷局の解説によれば、明治時代に活版印刷が普及した際にも、『康熙字典』の字体が活字の基本資料として使われていたそうだ。
なるほど。だから漢字の字体について調べていると、何度も名前が出てくるわけですね。
ただし、ここで注意したいことがある。
『康熙字典』は1716年に完成した字書であって、漢字が誕生した時代の姿を、そのまま記録したものではない。
漢字の歴史は、それよりはるかに古い。
つまり、『康熙字典』に載っている字体だからといって、それが漢字の成立当初から使われていた唯一の正しい形だとは限らないということ。
もちろん、だからといって『康熙字典』の価値が下がるわけではない。
むしろ、非常に重要な字書だからこそ、それがいつ、どんな目的で編纂されたものなのかを知っておく必要があるんじゃないかと思う。
学術研究では、どうして正字が重視されるのか?
ここで、もう一つ気になっていた問題に戻る。
古典文献を扱う学術研究では、正字体を重視する場合がある。
どうしてなんだろう?
例えば、同じ漢字に複数の異体字がある場合、それらを一定の字体に統一すれば、本文を読みやすくできるし、ほかの資料との比較もしやすくなる。
ただ、問題はそれだけではない。
古い写本や版本には、その時代に使われていた俗字や略字、異体字などが、当たり前のように登場する。
それらをすべて正字体に直してしまったら、原本が持っていた文字の情報が失われることもある。
一方で、原本の字体を一字一句そのまま再現しようとすると、今度は読みにくくなったり、パソコンで表示できない文字が出てきたりする。
じゃあ、どうすればいいのか。
この問題について、東京大学史料編纂所が公開している「データベースにおける文字について」という説明が参考になった。
同研究所では、異体字を同じ文字として検索できる仕組みを採用している一方、その処理に用いる代表字を、必ずしも伝統的な正字・旧字によって決めているわけではない。
検索や情報処理の都合も考慮しているんですね。
つまり、学術研究で何より重要なのは、常に正字体を使うことではなく、何を目的として、どのような基準で字体を扱っているのかを明確にすることなのだろう。
原本の字体そのものを研究する場合と、文献の思想や内容を読み解く場合とでは、求められることも違ってくる。
「正字を使えば、それで正確」という話ではないわけです。
「𠔁」は「別」の古字?──ようやく謎の漢字にたどりついた

さて、正字や異体字について調べていたところで、冒頭の謎の漢字が登場する。
𠔁何度見ても、不思議な形をしている。
「八」を二つ重ねただけにしか見えない。
ウィクショナリー日本語版で調べてみると、次のような情報が掲載されていた。
- 部首:八
- 総画数:4画
- 漢音:ヘツ
- 呉音:ヘチ
- Unicode:U+20501
そして、意義の欄には「別」の古字と書かれている。
……えっ、本当に?
あの7画の「別」が、昔はたった4画の「𠔁」だったということ?
いや、そもそも、どうして「八」を二つ重ねると「別」になるんだろう。
気になったので、今度は古い字書を直接調べてみることにした。
『玉篇』を調べてみると、「別」の古字と書かれていた
まず確認したのが『玉篇(ぎょくへん)』。
『玉篇』は、中国の南北朝時代、梁の顧野王によって編纂された字書である。
今回参考にしたのは、HDICという漢字字書のデータベースで公開されている『宋本玉篇』の全文テキスト。
そこで「𠔁」を検索してみると、こんな記述が見つかった。
補徹切。分也。古文別。
最後の「古文別」という部分に注目。
文字どおり、「別」の古文、つまり古い字体ということですね。
「分也」は、「分ける」という意味。
ちなみに「補徹切」は、反切という方法によって漢字の読みを示したもの。現代の日本語の音読みを直接書いたものではない。
少なくとも『玉篇』では、「𠔁」を「別」の古い字体として扱っていたことが確認できた。
さらに『康熙字典』にも、次のように書かれている。
《玉篇》古文別字。註見刀部五畫。
こちらも『玉篇』を引いて、「𠔁」は「別」の古字だと説明している。
なるほど。ウィクショナリーに書かれていた「別の古字」という説明には、ちゃんと古い字書の根拠があったわけだ。
『説文解字』では「八」を重ねた意味まで説明されている
さらに調べていくと、『説文解字(せつもんかいじ)』にも、この字が収められていることが分かった。
『説文解字』は、後漢の許慎が編纂した字書。漢字の成り立ちを調べる際には、避けて通れない重要な資料である。
その八部には、「𠔁」に相当する字について、次のように書かれている。
分也。从重八。八、別也。亦聲。
最初の「分也」は、やはり「分ける」という意味。
注目したいのは、その次の「从重八」という部分。
「八」を重ねた形から成る、という説明である。
実は「八」という字自体にも、もともと「分かれる」という意味が関係している。
つまり、『説文解字』では、「分かれる」という意味を持つ「八」を二つ重ねた構造として説明しているわけだ。
なるほど、ちょっと納得。
でも、ここでもう一つ気になることが出てきた。
『説文解字』には、「別」という字も別の項目として収録されている。
そちらの説明は、
分解也。从冎、从刀。
となっている。
「別」は「冎」と「刀」から成る字として説明されているのである。
一方、「𠔁」に相当する字は「八」を二つ重ねたもの。
同じ「分ける」という意味に関係しているけど、字の構造はまったく違う。
ということは、「𠔁」がそのまま形を変えて「別」になった、という単純な話でもないんじゃないか?
そんな疑問が出てきた。
参考:『説文解字』「𠔁」
台湾の『異體字字典』で、さらに意外なことが分かった
そこで、以前から漢字を調べる際に参考にしている、台湾教育部の『異體字字典』も確認してみた。
このデータベースでは、「別」が正字として登録されており、「𠔁」も「别」も、その異体字として収録されている。
ところが、「𠔁」の詳しい説明を読んでみると、かなり興味深いことが書かれていた。
二字本形義各異而音同。
これは、「二つの字は、もともと字形と意味が異なり、音が同じだった」という意味である。
えっ、どういうこと?
現在は「別」の異体字として扱われているのに、もともとは別々の字だったというのだ。
同じデータベースでは、甲骨文字の字形資料なども参照したうえで、「𠔁」に相当する字と「別」の違いについて説明している。
さらに、後世になると「別」が使われるようになり、「𠔁」に相当する字が使われなくなったことから、異体字として扱うことができる、という見解が示されている。
つまり、現在の辞典で同じ字として整理されていることと、その二つの字が最初から同じ成り立ちだったかどうかは、別の問題らしい。
これは、なかなか面白い。
「別」の古字だからといって、単純に「𠔁」が変形して「別」になったと考えてはいけないということですね。
さらに「兆」との関係まで出てきた!
調査はまだ終わらなかった。
『説文解字』の注釈を調べていると、清代の学者・段玉裁が、さらに意外な説を唱えていることが分かった。
段玉裁は『説文解字注』の中で、「𠔁」に相当する字について、こんなことを書いている。
此卽今之兆字也。
「これは、すなわち今の『兆』という字である」という意味。
……今度は「兆」!?
「別」の古字を調べていたはずなのに、まさか「兆」まで登場するとは思わなかった。
段玉裁は、古い韻書や字書の記述を比較しながら、伝わっている『説文解字』の本文そのものに問題があるのではないか、と考証している。
特に、従来の本文に見える「八、別也。亦聲」という部分についても、もともとの記述ではないと考えているのである。
ところで、そもそも「兆」という漢字は、どうして「兆し(きざし)」という意味を持つんだろう?
気になったので、今度は「兆」の由来を調べてみた。
台湾の中央研究院が公開している「每日一字」によると、「兆」は、もともと亀の甲羅に生じる裂け目と関係する文字なのだという。
古代中国では、亀の甲羅を火で熱し、そこに生じたひび割れの形から吉凶を占う方法があった。
このひび割れを「兆」と呼んだのである。
つまり、亀の甲羅に現れた裂け目から、これから起こることを占っていたわけだ。
なるほど!
そこから、物事が起こる前に現れる「しるし」、すなわち「予兆」や「兆し」という意味にもつながっていくんですね。
そして、ここで段玉裁の『説文解字注』に戻ると、さらに面白い記述がある。
分之甚也。龜兆其一也。
「分かれることが甚だしいものである。亀甲の兆もその一つである」という意味だ。
段玉裁は、「八」を二つ重ねた字形を、「分かれること」を強調したものと解釈している。
そして、亀の甲羅に生じる裂け目も、その「分かれる」という現象の一例として考えたのである。
ということは、「𠔁」と「兆」をつなぐ鍵は、「分かれる」という意味と、亀甲に生じる「裂け目」にあったということになる。
最初は「別」の古字について調べていたはずなのに、まさか古代中国の亀卜(きぼく)、つまり亀の甲羅を使った占いにまで話が広がるとは。
ただし、これは段玉裁による字形と字義の解釈であって、「𠔁」という字がそのまま「兆」という形に変化したことを証明するものではない。
このあたりも、漢字の歴史の面白いところですね。
まとめ:「𠔁」は「別」の古字。でも、漢字の歴史はそんなに単純じゃなかった

今回、最初に気になったのは、「別」と「别」のどちらが正字なのか、ということだった。
そこから「正字とは何か」「『康熙字典』とは何か」「なぜ学術研究では字体を重視するのか」といった疑問が次々に浮かんできた。
そして、そんなことを調べているうちに出会ったのが、「八」を二つ重ねた不思議な漢字「𠔁」だったわけです。
調べてみて分かったのは、『玉篇』や『康熙字典』には確かに「別」の古字として記録されているものの、文字の成立や本来の意味については、それだけでは説明しきれない部分があるということ。
現在は「別」の異体字として整理されていても、古い時代には別々の文字だった可能性がある。さらに段玉裁は、亀甲に生じる裂け目という意味から「兆」との関係まで論じている。
一方、「別」と「别」についても、昔は俗字とされていた字体が、現代では地域によって標準的に使われている。
こうして考えると、漢字の「正しさ」は、時代や地域、そして何を基準に判断するかによって変わるということなんでしょうね。
だからこそ、古典文献を扱うときには、単に正字か俗字かを区別するだけではなく、その字がどのような歴史を持ち、原本にはどんな形で書かれているのかを確かめる必要があるんだと思う。
それにしても、「𠔁」というわずか4画の漢字から、まさか『玉篇』『説文解字』『康熙字典』、さらには「兆」の話にまで広がるとは。
漢字って、調べ始めると本当にキリがない。
普段何気なく使っている「別」という一文字にも、こんなに複雑な歴史が隠れていたんですね。
見慣れない文字に出会ったとき、「これなんだろう?」と思って調べてみると、思いがけない発見がある。
やっぱり、こういうところが漢字の面白さなんじゃないかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
written by 南無パンクロック

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