BRAHMAN伝説のライブ「2003年北京・迷笛音楽節」を中国側の記録から読む

BRAHMAN
Midi Modern Music Festival
<span class="fz-12px">南無P</span>
南無P

リ―ホー!ニーハオ!南無パンクロック(@NAMUPUNKROCK)です

2003年10月2日、北京の迷笛音楽節。日本から出演したBRAHMANのステージへ、客席の一部から中身の入ったペットボトルや卵などが投げられた。

日本側では、このBRAHMANのステージはしばしば「投石が拍手に変わった伝説のライブ」と語られる。だが、その言い方だけでは、投げた人、止めた人、途中で態度を変えた人が、ひとつの「中国人観客」にまとめられてしまう。

公演の11日後、中国人観客の許強は、自分も物を投げたと書いた。同じ文章に、投擲を批判した中国人の友人、日本人観客との衝突と和解、ステージを守ろうとした司会者も登場する。音楽評論家の顔峻は、その年のうちに、罵声を上げていた一部の観客がBRAHMANに拍手と歓声を送るようになった、と記した。

あの日の客席で起きたことを、当時の中国語資料を中心にたどってみたい。


北京のフェスに、日本のバンドが立った

この年の迷笛音楽節は10月1日から3日まで、北京迷笛音楽学校で開かれた。開演前の新浪網にはBRAHMANを紹介する記事も掲載されている。突然現れた正体不明のバンドではない。主催者が招いた出演者だった。

舞台は「中国人だけの空間」でもなかった。顔峻の2003年のレポートは、中国のバンド「瘦人」に日本人ドラマーのHAYATO(木藤隼人)がいたことなど、多国籍の演奏者が入り交じるフェスの様子を記している。それでも、BRAHMANの出演時には、彼らが日本から来たバンドであることに反発する観客が現れた。

何人が投げ、何人が止めたのか。客席全体の人数に照らして、その割合を確定できる資料はない。だから、ここでいう「観客の反応」は、最初から一枚岩ではない。


「自分も投げた」――許強の11日後の告白

もっとも生々しい記録は、許強の「2003年迷笛音乐节现场见闻」だ。現象網に残る本文には2003年10月13日22時43分の日時があり、翌14日には別のBBSへリンクが転載されていた。これは何十年もたってから整えられた美談ではない。

許強は、国慶節の時期に日本のバンドが来たことへの反発と、周囲につられた悪ノリから、自分もBRAHMANに食べ物を投げたと書く。一方、彼の友人・辛钊は、「バンドは中国に演奏しに来て、目の前できちんと演奏しているのだから尊重すべきだ」という趣旨で投擲を批判した。辛钊の言葉は、辛钊自身が書いた記録ではなく、許強による報告である。それでも、事件直後の同じ中国人グループの中に反対意見があったことは重要だ。

許強は、投擲をめぐって日本人の若者と喧嘩寸前にもなった。ところが、その相手が中国語で「一起看吧」――「一緒に観よう」と声をかけ、肩を抱く。許強によれば、二人はその後一緒にPOGOをし、BRAHMANを応援した。

許強が書いたのは、「中国人全員が改心した」話ではない。投げた本人の行動が、その場で変わったという、ずっと具体的な証言である。


ステージでは何が起きていたのか

許強の記録には、ボーカルTOSHI-LOWの頭に卵が当たり、拭って歌い続けたこと、ベーシストのMAKOTOが飛来物を浴びてTシャツを替えたこと、ガラス瓶も一本飛んだことが記されている。司会者として実名が挙がるのは趙杰勇(赵杰勇)。何度もマイクの前に出て、観客を制止しようとしたという。

迷笛の主催者・張帆が、この日本のバンドに対する反応を音楽祭の「一つの失敗」と評した、という記録も許強の文章にある。これは張帆本人の署名入り声明ではなく、許強が伝えた張帆の発言として読むべきだ。

2006年の『新世紀週刊』の記事には、制止していた司会者の左額に半分水の入ったペットボトルが当たり、眼鏡が落ちたという、さらに細かな描写がある。ただし掲載は公演の約3年後で、この細部を2003年の直接記録と同じ強さで扱うことはできない。

この場面を思い出したとき、主語を「中国人観客」とひとまとめにするのは難しい。投げる人がいた。その行為を批判する中国人もいた。司会者は止めようとしていた。


「拍手に変わった」は、中国側の同時代資料にもある

音楽評論家・顔峻の「星星掉在我头上――2003迷笛音乐节纪事」は、『通俗歌曲』2003年第12期に掲載された文章だ。後年の伝説ができてからではなく、2003年中に公刊された中国側の批評である。

顔峻はBRAHMANについて、こう書いている。

有些盲从着叫骂的观众,转眼间又为他们鼓掌欢呼起来

「周囲につられて罵声を上げていた一部の観客が、見る間に彼らへ拍手と歓声を送るようになった」という意味だ。音楽についても、力強く、歯切れがよく、情熱的だと評している。

ここで省いてはいけないのは、原文の「有些」――一部のという言葉だ。拍手と歓声への変化は中国側の同時代資料で裏づけられる。しかし、それは会場全員の一致した反応や、投げた全員の心変わりを証明しない。

顔峻には、もう一つ「十月的耻辱」という文章がある。新浪網で読める版は2005年掲載だが、2003年10月15日17時40分付のBBS転載が残っており、公演の約2週間後には存在していたことが分かる。

こちらには、最も激しいときは水入りペットボトルが10本ほど同時に飛んだという木馬のボーカルの話、卵は事前に用意されていたという音響助手の話、当初は抗日の歌を歌っていた青年が後にBRAHMANへ声援を送ったという広州の音楽評論家の話が収められている。ただし、これらは顔峻が聞き取って記した他人の証言であり、顔峻自身がすべての場面を見たという意味ではない。

さらに大事な注意がある。「星星掉在我头上」の中で、顔峻は許強のレポートを読んだと明記している。許強と顔峻を「互いを知らない完全に独立した二人の証人」と数えることはできない。それでも、投げた本人の告白と、同じ年の中国人評論家による拍手・歓声の記録を、別々の文章として照らし合わせることはできる。

顔峻が「十月的耻辱」――十月の恥辱――と名づけたのは、BRAHMANの演奏ではない。音楽を聴く場所で、国籍を理由に演奏者へ物を投げた側の行為だった。


残しておくべき食い違い

史料を重ねても、すべてが一本の映像のようにつながるわけではない。TOSHI-LOWに当たったものについては卵や土塊の記述があり、演奏についても「中断した」とする報道と、止まらずに演奏を続けたとする現場側の記述が食い違う。卵と土塊の両方が飛んだ可能性はあるが、同じ瞬間を指しているのか、現存資料からは決められない。

『THEORIA』収録の北京公演映像では、「TONGFARR」の間奏中、4分26秒前後にTOSHI-LOWの頭部へ何かが直撃し、割れて飛散するように見える場面が確認できる。映像だけから物体を断定することは難しいが、卵が投げられたとする複数の記録とは整合する。

2003年の客席にいた日本人写真家・香取義人は、2018年の中国語インタビューで、前方から卵がステージへ飛ぶのを見たと語っている。記事には香取撮影と明記された2003年のBRAHMANのステージ写真も掲載されている。これは貴重な現場写真と、撮影者本人による後年の直接証言だ。ただし写真一枚から、投擲や拍手が起きた順序までは読めない。

もう一つ、繰り返される言葉がある。2022年、中国のミュージシャン・郭翰龍は、誰かがステージ上で「我々が向き合っているのは一つのバンドであって、一つの民族ではない」と言い、顔にペットボトルを受けたと回想した。

その人物は、許強が実名を記した司会者・趙杰勇かもしれない。しかし、趙杰勇がその言葉を発したと確認できる2003年の資料は見つかっていない。瘦人のボーカル・戴秦も観客に訴えたという別の記述があり、複数人の行動が後年の記憶で重なった可能性も残る。名言の発言者を、推測で確定させるべきではない。


映像はある。だが、映像だけでは事件は見えない

第4回迷笛を収めたYouTube動画を見ると、ほかのバンドの演奏や客席には、楽しそうなロックフェスの時間が映っている。筆者の好きな脑浊(Brain Failure)のライブ映像も確認できる。9分45秒ごろには、約2秒間、BRAHMANの演奏カットが入る。ただしその場のライブ音声はない。この短さでは、物が飛んだ時間帯や、客席がいつ拍手に変わったかは判定できない。

動画の「演出乐队/Performing Bands」というクレジットにはBRAHMANの名が見えず、「(日本)」と記された別の出演者がいる。これは気になる点だが、クレジットが全出演者を網羅していると確認できない以上、「BRAHMANが意図的に消された」とは言えない。

新浪網には公演当日の「二日目演出実録」と題した動画掲載ページも残る。しかし、そのページの存在だけでBRAHMANの全曲映像が掲載されていたとは分からない。また、孫志強による記録映画『節日』については、2006年のDVD案内に「2003迷笛音楽節片花」12分の収録が明記されている。中国側が当時の迷笛を撮影し、編集した映像があったことを示す資料だが、その12分にBRAHMANが映るかどうかは未確認である。したがって、この資料だけから北京公演の全貌をそのまま読むことはできない。

一方、日本側では、この北京公演の映像が後年に商品化・再配信されている。2006年にはDVD『THEORIA』に北京公演の一部が収録され、さらに2020年9月の結成25周年企画「BRAHMAN 25TH 25HOUR TV」でも再び無料配信された。ただし、これも2003年10月2日の公演全編を記録したものではない。現在確認できる映像は「TONGFARR」「LOSE ALL」「BASIS」などを中心とする編集版であり、北京公演の一部を切り取った記録として扱う必要がある。

BRAHMAN Live / 中国 北京 MIDI 2003 Modern Music Festival


『THEORIA』で初めて見た北京公演

筆者自身も、2006年に『THEORIA』が発売された当時、このDVDを購入して北京公演の映像を初めて見た。かなり衝撃を受けた記憶がある。日中関係に緊張感のあった時期に中国でライブを行い、その結果こうなったのだろう、という程度の理解しか当時はなく、率直に言えば「客席、やばいな(笑)」くらいに受け止めていた。

ただ、映像を見ると、すべての観客が敵対的だったわけではない。BRAHMANの演奏を楽しみ、身体を動かして聴いている観客も見える。当時の自分にも、客席にはいろいろな人がいたことだけは分かった。

そして何より印象に残ったのは、あの状況でも演奏を続けるBRAHMANだった。「ここまで来たら、やるしかない。かませ!」と思いながら見ていた。映像は「BASIS」の冒頭付近で途切れる。その先で何が起きたのか、当時からずっと見てみたいと思っていた。

20年近く経った今でも、もし続きの映像が残っているのなら見てみたい。その思いも、今回あらためて中国側の記録を探してみようと思った理由の一つである。

なお、BRAHMANの楽曲や映像作品については、以前書いた「BRAHMANの超おすすめ曲10選」でも紹介している。

動画が楽しいフェスに見えることと、その一公演で投擲が起きたことは矛盾しない。3日間の音楽祭の映像を、BRAHMANのステージで起きた数十分間の証拠として、そのまま読むことはできないからだ。

つまり、ステージを撮った写真、BRAHMANが映る短いカット、フェス映像の記録はある。一方、投擲から拍手までを連続して検証できる中国側映像は、現時点では確認できていない。


10月3日、BRAHMANはもう一度北京で演奏した

物語を10月2日の拍手で閉じると、翌日が抜け落ちる。中国ツアーのコーディネートに携わった小龍は、自身の活動歴に、2003年10月のBRAHMAN中国ツアーを「北京MIDI FES、豪運Bar Live」と明記している。10月3日の豪運Bar公演も、ツアーの記録に残る出来事だ。

ただし、その夜の中国人観客による当日レポート、確かな写真、セットリスト、前日の事件への言及は、今回確認できた資料にはない。「翌日は温かく迎えられた」とも「再び荒れた」とも、書く根拠がない。公演の存在と、その場の反応が分かることは別である。


「伝説」から、目の前の人間へ

2003年10月2日に確かにあったのは、BRAHMANに物を投げた観客と、それを止めようとした人たちだ。許強は自分が投げたと告白し、日本人の若者と一緒に踊るところまで書いた。顔峻は、その年のうちに、一部の罵声が拍手と歓声に変わったと記した。同時に、あの日を中国のロック青年にとっての「恥辱」と呼んだ。

「日本のバンド」という国籍の記号に向けられていた反応が、演奏を聴き、目の前のBRAHMANや隣にいる客と向き合ううちに変わった人がいた――史料からは、そう考えられる。ただし、それは私の解釈であり、会場全員に起きた変化として証明された事実ではない。

この公演を語るなら、投げられた卵だけでも、最後の拍手だけでも足りない。許強の告白、辛钊の批判、司会者の制止、顔峻の怒り、そして翌日の公演についてまだ分からないことまで残しておきたい。そのほうが、あの日の北京にいた人たちを、伝説の登場人物ではなく、それぞれ判断し、行動した人間として見ることができる。


主な参照資料


<span class="fz-12px">南無P</span>
南無P

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

written by 南無パンクロック 

[全記事へのリンクを表示する]

コメント

タイトルとURLをコピーしました