
ごきげんよう~、難読字好きの漢字小姐と申します
「汚」「汙」「汗」
この三つの漢字、よく似ていますよね。
「汚」は、もちろん「汚い(きたない)」の「汚」。
「汗(あせ)」は、汗をかくときの「汗」。
じゃあ、真ん中の「汙」は何なのか?
よく見ると、「汗」の右側が少し曲がったような形をしている。
最初は「汚」の異体字なんだろうと思っていたのですが、調べてみると、どうやら台湾では「汙」が正字として扱われているらしい。
……えっ、「汚」じゃなくて「汙」が正字なの?

以前、「別」と「别」の違いを調べたときにも、「正字とは何か」という問題が気になったことがあった。
今回も、どうやら同じような問題に出くわしたらしい。
それにしても、「汚」という漢字には、あまりいい印象がない。
汚い、汚れる、汚職、汚名、汚点……。
どれも否定的な言葉ばかり。
でも、この漢字は、本当に「汚い」という意味しか持っていないんだろうか?
そういえば、仏教には泥の中から美しい蓮華が咲くという有名な比喩もある。
「汚れ」と「清浄」
この二つの言葉も、何となく気になってきた。
そんなわけで、今回は「汚」「汙」「汗」の違いから始めて、古い字書や古典に見える用法まで、いろいろ調べてみることにしました。
「汚」「汙」「汗」は、どこが違うのか?

まずは、三つの漢字を並べてみたい。
汚 汙 汗
どれも「さんずい」が付いていて、画数は6画。
ところが、右側の形が違う。
- 「汚」:右側は「亐」に相当する形。
- 「汙」:右側は「于」。
- 「汗」:右側は「干」。
特に「汙」と「汗」はよく似ている。
「于」は縦画の先端が鉤状になるのに対して、「干」は基本的にまっすぐ下へ伸びる。
ほんのわずかな違いですね。
ただし、実際の字形はフォントや書体によっても多少異なるので、画面上の見た目だけで判断する場合には注意が必要である。
さて、ここでもう一つ紹介しておきたい漢字がある。
「污」
こちらも6画で、右側は「亏」という形になっている。
つまり、今回比較するのは、実際には次の四つの漢字ということになる。
汚・汙・污・汗
……こうして並べてみると、本当にややこしい(笑)
ただし、ここで重要なのは、「汚」「汙」「污」と「汗」では、文字の関係が違うということ。
前の三つは、歴史的に同じ意味で使われてきた字体の関係にある。
一方、「汗」は、基本的にそれらとは別の漢字なのである。
まずは、そこを押さえておきたい。
参考:漢字ペディア「汚」
「汙」が正字って、本当なのか?
そこで、台湾教育部が公開している『異體字字典』を確認してみた。
「汙」の項目を見ると、確かに「正字」と表示されている。
しかも、台湾の標準字体では常用字として扱われているという。
なるほど。本当に正字なんですね。
では、日本で使っている「汚」はどうなのか?
今度は「汚」を調べてみると、「污」の異体字として登録されていた。
一方、「污」もまた、独立した正字の項目を持っている。
……ちょっと待って。
「汙」が正字なのに、「污」も正字?
しかも「污」は、「汙」の異体字としても扱われている?
これは、なかなか複雑だ。
台湾教育部の字典では、「汙」を常用字、「污」を次常用字として扱っている。また、「污」は、ある項目では「汙」の異体字として、別の項目では正字として収録されているのである。
つまり、字典の中で「正字」とされていることと、別の字との異体字関係にあることは、必ずしも矛盾しないらしい。
ここで、現在の字体の使い方を整理してみよう。
- 日本:「汚」が標準的な字体。
- 台湾:「汙」が標準字体の常用字。「污」も次常用字として収録される。
- 中国大陸:「污」が一般的に使われる。
では、「汙」が正字だからといって、日本の「汚」は間違っているのだろうか?
もちろん、そんなことはない。
日本では「汚」が常用漢字に含まれているのだから、現在の日本語で「汚い」と書くことは正しい。
結局、どの字体を正しいと考えるかは、何を基準に判断するのかによって変わってくるわけですね。
参考:台湾教育部『異體字字典』「汙」
参考:台湾教育部『異體字字典』「污」
参考:台湾教育部『異體字字典』「汚」
『康熙字典』では、「汙」と「汚」はどうなっているのか?

ここで気になったのが、『康熙字典(こうきじてん)』である。
『康熙字典』は、中国・清代の1716年に完成した大型の漢字字典。
伝統的な漢字の字体を考える際に、重要な基準となってきた字書である。
日本でも、特に常用漢字以外の正字体を考えるときに、『康熙字典』が参照されることが多いという。
では、この『康熙字典』では、「汙」と「汚」はどう扱われているのだろう?
調べてみると、「汙」が見出し字として収録されていた。
そして、その項目には「汚」が「古文」として記載されている。
つまり、『康熙字典』では、「汙」を中心に説明しながら、「汚」という古い字体の存在も記録しているのである。
これは面白い。
現在の日本では「汚」が一般的だけど、『康熙字典』では「汙」が見出し字になっているわけですね。
ただし、「古文」と書かれているからといって、それが文字の成立当初の姿であるとまで断定できるわけではない。
そもそも『康熙字典』が成立したのは18世紀。
漢字の歴史は、それよりはるかに古い。
『康熙字典』に基づく伝統的な正字体と、漢字の成立当初の字形は、必ずしも同じものではないのである。
参考:『康熙字典』「汙」の記述
参考:大修館書店「漢字文化資料館」基本用語集
そもそも「正字」とは何なのか?──学術研究ではどう考える?
ここまで調べて、もう一度考えてみたくなった。
そもそも、「正字」とは何なんだろう?
大修館書店の「漢字文化資料館」では、同じ読みや意味を持ちながら字体が異なる漢字のうち、標準的と考えられるものを「正字」と説明している。
ただし、何を標準とするかは、時代や考え方によって変わるという。
なるほど。
つまり、唯一絶対の「正しい漢字」が、いつでも決まっているわけではないということですね。
では、古い文献を研究する場合はどうなのだろう?
例えば、ある古い版本に「汚」と書かれていたとする。
それを『康熙字典』に基づく字体に統一して、「汙」と表記したらどうなるか。
確かに、伝統的な正字体を使うという意味では、統一感のある本文になるかもしれない。
しかし、その一方で、原本に「汚」と書かれていたという情報は、そのままでは伝わらなくなってしまう。
逆に、原本の異体字をすべて残そうとすれば、読みにくくなったり、特殊な文字の表示が難しくなったりすることもある。
つまり、どちらにも利点と問題があるわけだ。
東京大学史料編纂所が公開している「データベースにおける文字について」という説明でも、異体字を検索するための代表字は、必ずしも伝統的な正字や旧字によって決められているわけではない。
情報処理上の事情も考慮されているのである。
ここで重要なのは、「正字を使うこと」と「原本に忠実であること」は、必ずしも同じではないという点だろう。
学術研究では、原本の字体をそのまま残すこともあれば、一定の基準によって統一することもある。
その判断は、研究の目的や資料の性質によって変わってくる。
だから、文献学的に正確であるためには、どの字体を使ったのかということだけでなく、原本の文字をどのように扱ったのか、その方針を明らかにすることが大切になる。

では、今回の「汚」「汙」「污」「汗」について、日本で漢文や古い中国の文献を研究するときには、どの字を使うのがよいのだろう?
調べてみると、『康熙字典』を基準とする伝統的な正字体に統一する場合には、「汙」を採用するのが一つの妥当な選択だと考えられる。
『康熙字典』では「汙」が見出し字になっているし、日本の漢文学研究でも、論文の字体を伝統的な正字体に統一する方針が見られるからだ。
例えば、日本中国学会の『日本中國學會報』では、刊行時には原則として旧漢字体(印刷標準字体)に統一するという規定がある。
ただし、同学会では常用漢字体の使用も認めており、研究上必要な異体字についても特別な扱いができるようになっている。
つまり、古典を研究するからといって、必ず「汙」と書かなければならないわけではない。
原本に「汚」と書かれていれば、その字形を残すことにも意味がある。また、「污」も古い字書に見られる字体なので、単純に誤字と決めつけることはできない。
一方、「汗」は基本的に別の漢字なので、「汚」「汙」「污」と同じ意味の字体として統一することはできない。
なるほど。
伝統的な正字体として「汙」を選ぶことと、文献の原本に忠実な文字を選ぶことは、やはり別の問題なんですね。
結局、「汚」「汙」「污」のどれが正しいのかという問いにも、一つの答えだけがあるわけではなさそうだ。
参考:日本中国学会『日本中國學會報』論文執筆要領
参考:東方学会『東方學』論文応募要領
『説文解字』を調べると、今度は「污」が出てきた
さて、正字の問題を考えていると、今度は漢字そのものの成り立ちが気になってきた。
そこで、『説文解字(せつもんかいじ)』を調べてみることにした。
『説文解字』は、後漢の許慎によって編纂された字書で、漢字の構造や意味を考える際の重要な資料である。
ところが、台湾教育部の「汙」の項目には、意外なことが書かれていた。
現在の楷書の「汙」という字体そのものは、『説文解字』には収録されていないというのだ。
では、どうなっているのか。
その説明によれば、『説文解字』に収められた篆書の字形を楷書に置き換えると、「污」に相当するという。
……えっ、今度は「污」?
しかも、台湾教育部では、その字の右側にある音符は、単独で書くときには「于」となるため、標準字体として「汙」を採用していると説明している。
つまり、『説文解字』の篆書を楷書に置き換えた形と、現代の台湾で採用されている標準字体は、必ずしも一致しないということだ。
なるほど。
「汙」が正字とされる理由は、単純に『説文解字』にそのままの形で載っているから、というわけではなかったんですね。
さらに『説文解字』の伝本には、関連する字について次のような説明がある。
薉也。一曰小池爲汙。一曰涂也。
最初の「薉也」は、「穢れ」の意味。
「薉」は「穢」に通じる字である。
続く「一曰小池爲汙」は、「小さな池を汙という」という意味。
そして「一曰涂也」は、「塗る」という意味も記録している。
……えっ、小さな池?
てっきり「汚い」という意味ばかりだと思っていたのに、こんな意味まであったとは。
なお、『説文解字』の伝本と段玉裁の注釈では、字体や音符の捉え方に違いがある。そのため、古い字形の説明をそのまま現在の字体に当てはめるのは慎重であるべきだろう。
「汚」の背景に、水たまりという意味があった?

『説文解字』に「小さな池」という意味が出てきたことが、どうにも気になる。
そこで、もう少し調べてみた。
現代日本の漢字ペディアでは、「汚」の成り立ちについて、水を表す部分と音を表す部分から成る形声文字であり、くぼみにたまった水から「きたない」という意味が生じたと説明している。
なるほど。
水が流れずにとどまっている場所を想像すると、確かに泥や濁りが生じることもある。
そうした具体的な水の様子が、「汚れ」という意味と結びついていると考えられているわけですね。
ただし、ここは少し注意が必要だ。
『説文解字』に「小さな池」と「穢れ」の両方の意味が書かれているからといって、必ず「小さな池」が先にあって、そこから「汚れ」という意味が生まれたと証明できるわけではない。
字書に記録された意味と、文字の意味が実際に変化した順序は、別の問題だからだ。
それでも、「汚」という漢字の背景に、水がたまる場所という具体的な意味が関係しているのは興味深い。
普段何気なく使っている漢字にも、意外な歴史があるんですね。
「汙」と「汗」は似ているけど、もともとは別の漢字
ここで、もう一つの「汗」に戻ってみよう。
「汙」と「汗」は、見た目が本当によく似ている。
しかし、『説文解字』で「汗」を調べてみると、次のように説明されていた。
人液也。从水、干聲。
「人の身体から出る液体」という意味であり、「水」を意味に関係する部分、「干」を音に関係する部分として構成された文字である。
つまり、「汗」は「干」を音符とする形声文字だったわけだ。
一方、「汙」は「于」などと関係する形声文字として説明されている。
字形こそ似ているものの、構成も意味も異なるのである。
日本語でも「汗」は「カン」「あせ」と読むのに対して、「汚」は「オ」と読む。
つまり、「汙」と「汗」は、単に画数が違うだけの異体字ではないということですね。
ただし、見た目の似ている文字同士だからこそ、古典の本文を読む際には取り違えに注意したいところでもある。
実は、次に紹介する『詩経』の用例を調べていたときにも、このことが気になった。
参考:『説文解字』「汗」の記述
『詩経』では、「汙」が「汚れを洗い落とす」という意味に?

さらに調べていると、かなり意外な用法が見つかった。
台湾教育部の『異體字字典』では、「汙」に、汚れを洗い落とすという意味も記録されている。
その用例として挙げられているのが、『詩経』「周南・葛覃(かつたん)」の一節である。
薄汙我私、薄澣我衣。
これは、衣服を洗う場面を表した詩句である。
ここで登場するのは「汗」ではなく、「汙」系統の字。
なお、『詩経』の公開テキストを比較すると、この箇所には「汙」「污」「汚」などの字体が見られる。例えば、中國哲學書電子化計劃では「薄污我私」と表記されている。
では、「汙」は本当に「洗う」という意味で使われていたのだろうか?
古い注釈である毛伝には、
汙、煩也。
とある。
また、鄭玄の箋では、
煩、煩撋之、用功深。
と説明されている。
「煩撋(はんぜん)」とは、念入りに揉み洗いすることを意味する。
つまり、この詩句では、衣服を揉み洗いして汚れを落とす行為として、「汙」が解釈されてきたわけだ。
なるほど。
「汚す」という意味で知られる字が、古典では「汚れを落とす」という行為にも使われていたんですね。
ただし、これをもって「汙」という字の本来の意味が「洗う」だったと断定することはできない。
あくまでも、『詩経』の一節に対する伝統的な解釈として確認できるということだ。
それでも、現代の「汚い」という印象だけでは、古い漢字の意味を捉えきれないことがよく分かる。
漢字の意味は、時代や文脈によって、思っていた以上に幅広いものなのかもしれない。
参考:中國哲學書電子化計劃『詩経』「葛覃」
参考:『毛詩正義』「葛覃」の古注
「川澤納汙」──汚れを受け入れるという発想

さらに調べていると、もう一つ面白い用例があった。
『春秋左氏伝』宣公十五年に見える、次の文章である。
川澤納汙、山藪藏疾、瑾瑜匿瑕。
川や沢は汚れを受け入れ、山林は害のあるものを隠し、美しい玉にも傷がある、という意味である。
この言葉は、晋が楚との関係を考える場面で、臣下の伯宗が君主を諫める際に用いている。
つまり、ただ自然の風景を描いているわけではない。
川や沢、美しい玉などを例に挙げながら、人間の度量や、物事を大きく捉える姿勢について説いているのである。
これは、なかなか興味深い。
「汚れ」というものは、普通なら避けたいものだと思う。
しかし、この文章では、汚れを受け入れる川や沢が、人間の包容力を考えるための比喩になっている。
もちろん、汚れそのものが良いものだと言っているわけではない。
汚れを受け入れることと、汚れを肯定することは、別の話である。
それでも、「汚れ」を排除するだけではなく、受け入れるという発想が古い中国の文献に見られるのは面白い。
最初は「汚」という字には悪い意味しかないと思っていたけど、調べていくうちに、ずいぶん違った側面が見えてきた。
仏教の「染汚」と「清浄」、そして蓮華の比喩

さて、「汚れ」について調べているうちに、もう一つ思い出したことがある。
仏教における「染汚(ぜんま)」と「清浄(しょうじょう)」という言葉だ。
仏教でいう「染汚」は、単に身体や衣服が汚れているという意味ではない。
煩悩などによって心が染め汚されることを指す場合がある。
一方、「清浄」は、そうした煩悩から離れた清らかさを表す。
つまり、日常生活でいう「不潔」と「清潔」とは、少し違った問題なのである。
ここで思い出すのが、泥の中から咲く蓮華の比喩だ。
『妙法蓮華経』の「従地涌出品」には、次の一節がある。
不染世間法、如蓮華在水。
世間の中にありながら、それに染まらない菩薩の姿が、蓮華にたとえられているのである。
また、『維摩詰所説経』の「仏道品」には、
譬如高原陸地不生蓮華、卑濕淤泥乃生此華。
とある。
高く乾いた土地には蓮華は生じず、低く湿った泥の中にこそ花が生まれるという意味である。
その後には、煩悩の泥の中にこそ仏法を起こす衆生がいる、という説明が続く。
つまり、単に「泥の中でも綺麗な花が咲く」という話ではない。
煩悩に満ちた世界が、仏法を求める契機にもなり得るということが説かれているわけだ。
ちなみに、「出淤泥而不染」という有名な表現は、宋代の思想家・周敦頤の『愛蓮説』に登場する言葉である。
こちらは仏典そのものではなく、蓮華を君子の徳にたとえた文章だ。
同じ蓮華でも、それぞれの文献で少しずつ意味が異なっているんですね。
こうして考えてみると、「汚れ」と「清浄」の関係も、単純に正反対のものとして片づけられるわけではなさそうだ。
参考:CBETA『妙法蓮華経』巻第五・従地涌出品
参考:CBETA『維摩詰所説経』巻第二・仏道品
参考:周敦頤『愛蓮説』
まとめ:「汚」「汙」「污」「汗」を調べて分かったこと

今回、最初に気になったのは、「汚」「汙」「汗」という三つの漢字の違いだった。
調べてみると、「污」という字も加わり、実際には四つの漢字を比較することになった。
そして、台湾では「汙」が正字とされている一方、日本では「汚」、中国大陸では「污」が標準的に使われていることが分かった。
さらに『康熙字典』を調べると、「汙」が見出し字として収録され、「汚」は古文として記録されていた。
ところが、『説文解字』の字形までさかのぼると、今度は「污」に相当する形が登場する。
つまり、漢字の「正しさ」は、何を基準に判断するのかによって変わってくるわけですね。
また、学術研究でも、伝統的な正字体に統一することと、原本に忠実であることは必ずしも同じではない。
文字の歴史を調べるうえでは、この違いを意識することが大切なのだろう。
一方、「汚」という字の意味についても、意外な発見があった。
『説文解字』には、「穢れ」だけでなく「小さな池」という意味も記録されている。
『詩経』では、「汙」が衣服を揉み洗いする行為として解釈されてきた。
『左伝』では、川や沢が汚れを受け入れることが、人間の度量を考えるための比喩になっている。
最初は否定的な意味しかないと思っていた「汚」だったけど、古い文献まで調べてみると、その意味や用法は、想像していたよりもずっと幅広かった。
さらに仏教では、「染汚」と「清浄」という問題があり、蓮華の比喩を通して、汚れた世界と清らかなものとの関係が語られていた。
もちろん、これらをすべて同じ意味としてまとめることはできない。
でも、「汚れ」という一つの言葉にも、さまざまな意味や考え方が重なっているということは分かった気がする。
普段何気なく使っている漢字でも、古い字書や文献を調べてみると、思いがけない発見がある。
やはり、こういうところが漢字の面白さなんじゃないかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
written by 南無パンクロック

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